●常照寺の歩み

 

 常照寺は、昭和十三年八月十三日「本門佛立教会、東京第二・宇都宮親会場」の設立以来、初代ご住職である桜井日陽上人が大本寺・乗泉寺の受持のご奉公と兼務でご尽力なされ、その礎を築かれました。そのお弟子さんのなかには、井上日宇御導師をはじめ、事務局次長・中島正清さんのご尊父であられる中島正籟師もおられ、お師匠の日陽上人と共に栃木県内のご弘通をご苦労の多い中ご奉公くだされました。

 

 そして、日陽上人のご遷化後は、二世ご住職・石関日泰上人が初代ご住職・桜井御導師の遺志を引き継がれ、桐生、足利、館林、栃木の教線をさらに伸ばして、常薫寺、常行寺、常信寺の末寺の建立、寺号公称をなされました。

 

 さらに石関日泰上人は昭和二十年の七月十二日の宇都宮空襲で焼失してしまった常照寺を再建、昭和三十八年には新本堂竣工式、納骨堂も建立され、翌三十九年には、日晨上人ご親修のもと開筵式を挙行なされます。

 

 そして、その日泰上人の後、第三世住職位を継承なされたのが、佛立第廿二世御講有の井上日慶上人でございます。日慶上人が、常照寺のご住職としてご就任なされたのは昭和四十年で、平成六年に大本寺・乗泉寺ご住職に請待されるまで実に二十九年、日慶上人は、常に常照寺教講の陣頭に立たれてご奉公なされました。生来の気さくなご性格であった日慶上人は、常照寺のご信者のどなたからも慕われました。

 

 また、日慶上人はご自坊のみならず、昭和六十三年には本宗の宗務総長に、また平成四年には講有代務者となられる等、宗門の要職にもつかれご奉公下されました。

その後、日慶上人は佛立第廿二世御講有にご晋位なされる訳ですが、もし日慶上人がおられなかったら、宗門の混乱であったあの『乗泉寺問題』も解決はしなかったと言っても、これは過言ではありません。

 

 そして、日慶上人が乗泉寺ご住職となられた後、第四世・井上日宇御導師は、ご信者の誰しもご存じのように、兎に角真面目なご性格であり、時には厳しく、また時には優しく常照寺教講を分け隔てなくご教導下されました。

 

 特筆すべきことは、昭和二十六年に十八歳で得度なされて以来、ご遷化の平成三十年十二月十六日まで、途中、乗泉寺のご奉公や板橋・信泉寺ご住職としての役務ご奉公はございましたが、ご尊父である新井正瑞師と共に宇都宮・常照寺のご弘通に生涯を捧げられた御導師であられました。

 

◇ ◇ ◇

 

 今現在、常照寺があり、私たち教講がこのように平穏無事でご奉公させていただけるのは、ひとえに初代日陽上人をはじめとした、歴代のご住職方のご教導とご尽力があったればこそだと、深く感得させていただく次第であります。

 

 そして、また、その歴代ご住職のご奉公の陰には、それらの御導師を「陰となり日向になり」支えられたお教務さん、また先輩の役中さん、ご信者の皆さまの並並ならないご奉公があったからこそ、今の常照寺がある訳です。

 

 そのようなことをよくよく考えますと、今の常照寺を後世の方に譲り渡していく使命が私たち教講にはあるのだなと深く痛感させていただく次第でございます。

 


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先住・井上日宇御導師が作詞されました
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